Facebook始めました。ブログでの活動はfacebookに移動して展開中です。お友達申請お待ちしています。
マイシネマ部長:山中 陽平 http://www.facebook.com/yamanakayohei

◇ 時給500円の価値観

2009 12月 7日 15:46

皆様、御元気ですか?マイシネマ部長です。

前回から時間がかかってしまいましたが、マイシネマは更新されますよ。

 

では、前回の予告通り「ゲシュタルト」について書いていきましょう。

ゲシュタルト崩壊という意味は前回に記載した通りなのですが、

それ以外でゲシュタルトという言葉が多く使われる場があります。

それが、「ゲシュタルト療法」という心理療法です。

 

■ゲシュタルト療法、どういうもの!?

実際どういう心理療法なのか、実は私もよくわかっていません。調べれば調べるほど奥が深いもののようで、東洋的な瞑想の考え方も取り組んでいるとか。wikipediaによると

・過去に何をしたか、それはなぜなのかを問うことはしない、「今・ここ」で、「いかに」、話しているか「何を」話しているかを問題にする、

ということです。

■過去を追求しない

ときどき、「変えられない過去」のことで自分や他人を責めて『今をどう生きているか?』ということからフォーカスが外れることがありませんか?もちろん、『反省』も大切ですが、そのためにいまを消費しているという現実はありませんか?「むかしにあったこと」が「未来に起きる」という保証はありません。しかし、そのことがわかっていながら、自分や他人を責めてしまいませんか?なぜそうなってしまうのでしょうか?

■他人に期待するから?

なぜ人や自分を責めることになるのか。よくいわれる言葉で「他人に期待してはいけない」という言葉があります。なんだか悲しい言葉のように聞こえますが、「他人への期待」というものは基本的に「傲慢」にほかなりません。なぜなら「他人への期待」とは「それだけのことをしてもらうことを自分がしている」と思っているからです。ないし「自分の価値観を押し付けて」「他人がそれをすることが当然」と思ってしまっているからです。三者三様の価値観があるのかで「自分の価値観」=「他人の価値観」をフラットに維持出来るわけがありません。

■時給500円の価値

例えば私があなたに「500円あげるから1時間掃除をしなさい」というお願いをします。頼んだ私は「500円も上げたんだから、机も、トイレも、床も綺麗にしてくれる、それが1時間で終わらなければ掃除を続けてくれる」と信じていても、あなたは「時給500円って、とりあえず1時間やってみよう」と思ってしまうでしょう。このときに私とあなたの間の価値観の違いは明確です。もちろん、ビジネスと言う現場ではこの「何をしていくら払うか」を明確化することで価値観のズレをなくしているのですが、この境界が曖昧なままスタートすることも多々あります。その場合、結局どちらかがどちらかの価値観を押し付けるという作業をしているのです。

■ゲシュタルトの祈り

さて、そんな重苦しい話をなぜするかというと、ゲシュタルト療法はその根本的な問題に取り組んだ療法であるといえるからです。そのゲシュタルト療法を表すひとつの詩があります。
ゲシュタルト療法の第一人者、フレデリック・パールズという人がワークショップの前にかならず読む詩らしいのですが、私の心に残る詩だったのでこちらに掲載します。

『私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。
私はあなたの期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
そしてあなたも、私の期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
もしも縁があって、私たちが出会えたのならそれは素晴らしいこと。
出会えなくても、それもまた素晴らしいこと。』

みんなが自分のために生きている、と考えるといろいろ許せることが出てくるはずです。
少なくとも「誰かのために生きている」のではありません。

記載者:J-POPで「君のために~♪」みたいな歌詞がありますが、それを他人に期待しないマイシネマ部長。


 

 

 

 

 

 

■ このブログの関連記事