Facebook始めました。ブログでの活動はfacebookに移動して展開中です。お友達申請お待ちしています。
マイシネマ部長:山中 陽平 http://www.facebook.com/yamanakayohei

皆様、探検してますか?
マイシネマ部長です。

さてちょっと長くお休みを頂いておりましたが、頑張りますよ。早速ですが、とあるものが解禁になりました。鮎?ボジョレーヌーヴォ?いえいえ、長崎の「端島」です。知らない?それなら軍艦島を知っていますか?

■通称「軍艦島」
軍艦島、といわれて、「ああ、あの有名な?」となった人は、廃墟が好きか、博識か、かなりの年齢か、写真を撮る人か、推理小説好きかでしょう。(かなり範囲広いですね)。ご存じない皆様に、簡単に説明すると、長崎の中心部から約19km沖に位置する島です。19世紀に石炭の存在が確認されて、その後炭鉱になった島です。炭鉱として発展していく中で、島の周囲の埋め立てが繰り返され、更に多くの労働者が住むために日本最初の鉄筋コンクリート造の集合住宅が作られたため、その外観が軍艦のようになってしまい、通称「軍艦島」と呼ばれていました。

http://maps.google.co.jp/maps?f=q&hl=ja&q=&ie=UTF8&z=17&ll=32.627665,129.73845&spn=0.006659,0.010278&t=k&om=1

■東京の人口密度の9倍?
その軍艦島で炭鉱夫は当時の一般的な初任給の4倍の給与を得ていたとも言われ、数多くの人が軍艦島に住みました。その人口は、ピーク時で5267人がわずか6.3ヘクタールの土地に住んでいました。その人口密度は東京特別区の9倍、当時世界最高の数値を誇る(?)場所でした。島にそれだけの人が住んだために、ひとつの小さなコミュニティとして完結するために学校や病院まであったというから驚きです。

■しかしいまや無人島、何故?
1974年4月20日、その島から人の姿が消えました。それは主要エネルギーが「石炭」から「石油」になったから。そのために人は職を失い、この島に暮らす最も大切な目的を失ってしまったのです。その日以降、無人島となったこの「軍艦島」の建物は取り壊される事もなく、ただ、風雨にさらされながら、今日まで残ってきました。ただ、建物の損壊箇所もあり、危険なので公には立ち入り禁止となっていました。この軍艦島が来る4月22日、ついに解禁となり、一部だけ立ち入りが許可されるようになったのです。

■エネルギーの終焉とは
今、私たちは「石油」というエネルギーの終焉の時代に生きています。当時の軍艦島の賑わいと今の私たちの賑わいはどこか似ているものがあるかもしれません。エネルギーが変わってしまい、まるで人が滅んでしまったような廃墟になった軍艦島。そこで何を感じるか、是非足を運んでみたいですね。

記載者:とある小説で軍艦島を知ったが、空想のものだと思っていたマイシネマ部長

 

 

■ このブログの関連記事